紀州・和歌山から青梅・南高梅を生産・直売、美味い果物、柑橘、みかんを栽培農家が直送。鮮度と安心をお届けします。梅干・梅酒用・生梅の専門店。

紀ままな独り言14

紀ままな独り言14

パソコンに向かいて・・・  

吉田兼好が書いたとされる随筆・つれづれぐさでは、硯だったが、  

  •  兼好法師の時代は、筆で、墨をすりながら悠長に考えながら記していたのかもしれない。今はキイボードと画面を睨めっこ。本当はブラインドタッチと言いたいところだか、それほどのスピートで、キイボードを叩くほど、文章が浮かんではこない。
  •  もっともアラカン(還暦が近い人間)にとって、それなりにOAについて行っているつもり。この歳になると、自画自賛しないと誰もほめてくれない。・・・。最近は若い人に聞いて対処しているので、進歩がないのかもしれない。
  •  パソコンをさわり初めて、何年になるのだろうか。昭和の時代は確か、東芝のトスワードだったのかもしれない。当時はパソコンとワープロを区別していた時代でもあった。ワードプロセッサの時代で、知り合いが東京は新宿の電気店で、こんなのを習い始めていると聞かされたのが最初だった。トスワードが世に出て、そんなにたっていなかったと思う。
  •  数字の「646」と何かを叩くと、「和歌山県田辺市」と画面に出てきたのに、凄く驚かされた。
  •  中学に入ったばかりのころ、学校に英文のタイプライターがあり、叩いて遊んだのが懐かしい。映画ローマの休日で、新聞記者役のグレゴリー・ペッグが、たばこをくわえながら格好良く叩いていたシーンが目に浮かぶ。もちろん主演のオードリー・ヘップバーンの美しさに魅了されたのは、いうまでもないが、その影響か、大きくなったら新聞記者になりたいと思った時期もあった。一応、地方の新聞ではあるが、記者らしいことをしていた。小さなころの夢を一つ叶えているのだから、今となっては、有り難いことである。この映画は、私が繰り返し見た数少ない映画である。中央沿線の名画座で、立ち見した事もある。なのなんともいえない映画館の臭いが、懐かしい。
  •  私は字がかなり下手であった。だから、英文のようなタイプライターがあればなあと、若いころは常に思っていた。
  •  東京・新宿での646ショックから、一年後、昭和の終わり頃になって、勤め先のトスワードを使えるようになった。周りの先輩たちは、あまり使いたくないらしく、ありがたかった。当時は13インチのフロッピーディスクに記録していた。よくエラーが出やすく、取扱注意だった。その時に、「平家物語」「徒然草」の冒頭を打ち込み、これで試験問題を作成するのに、便利だと夜遅くまで入力していたのを思い出す。
  •  その時に、理科系の先生から、やがてワープロ時代じゃなくなるから、パソコンで「テラ契ぁ廚如∈遒辰討くほうがいいよと教えられたが、すんなりとは対応できなかった。そちらは5インチのディスクで、スマートだったような気がする。
  •  でも考えてみると、その一年後には、なけなしの給料をはたいて、パソコンを買っていたのだから、その当時は、結構時代の先端を行っていたんだと、今にして思う。今では、なんてことのないパソコンであるが、当時はかなり高価だった。ただ、あまり活用しなかったのが、残念である。数年後には、子供のおもちゃになっていた。残念・・・。
  •  その後、務めた会社で、ワープロの3級程度の入力能力がないものは、ボーナスを支給しないという、御触れが社内で出回り、「一太郎検定」で3級を取得、しかし、商工会の主催の3級でないといわれて、再度、受けなおした。他の人よりは長く接しているせいか、すんなりと3級は合格、先輩たちが、3級の壁に挑戦しているときに、2級に挑戦したが、デザインのセンスがなく、あきらめた。タイピングはなんとか合格点をとれたが、外字を作成して、それを活用して案内文を作成するという問題には、歯が立たなかったのを覚えている。
  •  考えてみると三十年以上パソコンに向かい合っていることになる。OAがドックイヤーといわれるなら、ワンちゃんならば、200年以上、オールドマシーンは、そろそろお暇を戴く時が近いのかもしれない。







a:375 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 3.71
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional