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紀ままな独り言25

紀ままな独り言25

春は異動のの季節でもある。  

  •  最初の引っ越しは、2月3日の小学一年生だった。父親が家を新築したため、古い長屋のような細長い家をあとにした。ただ、引っ越しといっても、元の家から距離にして400m位だったが・・・。
  •  この古い家は、子供のころはちょっとした自慢だった。軒が広く、雨の日でも、十分遊べたからである。母親は卓球台をこしらえ、この軒でピンポンをしたことを覚えている。
  •  私からみたら、曾祖父にあたる人が、大工の見習いらしき仕事をしていたとかで、余った材料を継ぎ足しながら、細長い家となり、昔の家としては珍しく、土間の玄関付近客間から、納戸を挟んで六畳、四畳半と並んでいた。軒が広いのも、大工仕事をするためのスペースだったのかもしれない。小さな私は家の中を走り回って、よくしかられたものだ。土間の反対側には、押し入れがあり、暗い押し入れの中は怖かったのものだ。
  •  わずか400メートルの引っ越しだったが、飼い猫の「トラ」は家に居着き、新しい家には着いてこなかった。マツダのミゼット(正確にはマツダK360、ダイハツのミゼットに似た車で、オート三輪タイプで似ていいため、父親はミゼットと呼んでいた)に抱きかかえて、新居の手前50m位のところで、窓から飛び出てしまった。
  •  それから随分たって、母親の従兄弟に当たる人が、古い家の近くの竹藪の中で、死んでいたというのを聞かされた。私が生まれたときには、家にいた。4っつ離れた兄が、学校に行ったときには、私の大事な遊び友達だった。時にはヒヨドリを咥えて帰ってきたこともあった。軒先の涼み台のゴザのしたに隠しておいたが、兄たちに処分されたこともあった。キジトラのかわいい猫だった。また、賢い猫だったと聞かされた。
  •  それから、40年以上だったころ、実家に似たようなキジトラの猫が居着いていた。子猫だった。しばらくすると三毛の少し大きな猫もよってきたが、こちらはすぐにいなくなった。母親は、冬場、湯たんぽを用意して、納屋の寝床にもっていくなど、面倒をみていた。父親も「こいつ、竹輪がすきやねん」といいながら、食べやすいようにちぎって与えていた。後年、父親が亡くなり、病院から引き取ってきたとき、家の周りで、猫の鳴き声が止まなかったと聞かされた。
  •  ほとんど引っ越しというものを経験していない、私が上京したのは、高校を卒業した時だった。兄の住んでいたアパートに転がり込んだのである。兄は私と入れ替わりに、帰郷した。管理する不動産屋から、お兄さんはと聞かれても、とぼけたままで、一年間住み続けた。
  •  夏に帰省した後、再び上京するときは、夜行の南回りで経費をうかそうとしたが、夜明けの新宮あたりまではよかったが、そこから先は、おしりが痛くなり、亀山で進行方向が逆になり、昼過ぎに名古屋に着いたときは、これ以上は無理と判断し、新幹線に乗り換えたこともあった。
  •  ただ、白浜から飛行機で上京するのも、当時はスカイメイトが半額だったので、六千円位だったと思う。羽田から三鷹まで少し時間がかかったが、新幹線を利用するよりもかなりやすかったと思う。
  •  今はその白浜空港も場所を変え、ブラジル製の小さなジェット機が就航している。一日3便だけの空港、利用方法を考えるタイミングを失った感がある。一時はパイロットを養成する大学を検討していたが、行革のあおりで、ウォッチ木村に止められた。あの当時の判断としては、正しかったのかもしれないが、パイロット不足が深刻な問題となってきた今、あの判断はいかがなものかと思ってしまう。元県知事には失礼だが、高級時計に目を奪われ、時の流れを読み間違えたのではないかと、今にして思う。





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