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紀ままな独り言26

紀ままな独り言26

バイクを廃車に  

  •  年度末を前に、バイクのナンバープレートを市役所に提出。これでようやくバイクを廃車に出来た。年度内にしなければと思いつつ、ようやくという感じである。
  •  市役所に行く途中で屋敷町の町並みが変わっているのが気になった。
  •  以前は、城下町の雰囲気がする、板塀が続いていたが、空き地となっているところもあった。
    中屋敷の町並み
  •  写真は中屋敷の町並みで、反対側は上屋敷となる。田辺郵便局から市役所に通じるこの区間が、昔のままの狭い通りで、車は一方通行となっていたと思う。
  •  この付近に、田辺酒造があったらしい。残念ながら私は近郊の秋津で育ったので、古い田辺の町中については、ほとんど知らない。脇村奨学会もこの近くにあったと思う。以前、高野連の会長をされた脇村春男さんは、この公益財団法人の代表理事をされているとか。
  •  脇村さんは、湘南高校時代夏の甲子園に出場、優勝チームの三塁手で、その後東大に進まれ野球部の主将を務められた。高校時代の一年後輩には、プロ野球ニュースなどで活躍された佐々木信也さんもおられたとか。
  •  田辺の町が整備されたのは、関ヶ原の戦いの後、浅野幸長が紀州入り、その重臣浅野氏重が慶長年間に、会津川河口の左岸砂丘上に湊村城新築、城下町の整備を行ったらしい。その砂丘の高い地帯は、武家屋敷、周辺の低い平地は町人町を配したという。ただ、元和元年(1615年)に一国一城令が出され、お城は破棄されたそうだ。
  •  続いて安藤直次が筆頭家老として、紀州入り、安藤氏は浅野氏の城下町整備を継続したという。子供のころ、田辺の町並みは、敵方に攻め込まれたときのことを考えて、丁字路となっていると教えられた。
  •  車社会となり、不便な町並みだったが、スピードを出さない分、安全な町並みだったのかもしれない。
  •  そんな町並みだから、バイクや自転車は貴重な交通手段で、あった。私の場合は、少し離れているので、バイクでないと自転車では、ちょっと・・・という感じだった。また、県の出先機関が高台にあるため、やはりバイクが便利だったと思う。







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