紀州・和歌山から青梅・南高梅を生産・直売、美味い果物、柑橘、みかんを栽培農家が直送。鮮度と安心をお届けします。梅干・梅酒用・生梅の専門店。

梅こぼれ話

梅こぼれ話

梅の花はいつ開く。 今年も1月10日前後に開花。  

  • 2009年の梅は、1月8日に開花しましたが、一昨年(2008年)よりも早く開花しました。今年は(2010年)は昨年並みですが、花の咲いている期間は長いようです。
  • 以下は、2009年の状況です。
    サンセットファームの梅の花 早くも咲きだした梅の花
  • 気象台によりますと、潮岬でも8日、開花したそうです。
  • 平年よりも15日、前年よりも10日早いそうです。
  • 昨年は、梅の花の開花が早く、その後寒い日が続いたので、受粉がうまくいかず、不作となりました。
  • 今年は、それ以上に10日も早く、連休を挟んで冷え込みが厳しそうです。
  • もっとも、今のところ開花しているのは、南斜面の暖かい所だけですので、今後の冷え込みで開花が抑えられれば、前年並みの開花となりそうです。
  • それでも、この寒い時期に開花すると、ミツバチが飛びません。
  • だいたい15度以上の気温がないと、蜂は活動しないので、深刻です。
  • 5年前にも、この時期に咲きました。(2004.1.7日開花)
  • 2年前は、2月5日の開花です。(2007年)
  • 以前、年末に開花して、不作だったことを覚えています。
  • 遅い年では、2月後半といいうこともあります。
  • このように一カ月以上も花の開花がずれる作物も珍しいと思います。
  • 一部の人たちは、温暖化とすぐに叫びそうですが、そのへんのところはあまり分かりません。
  • 今年は、栽培管理がより難しそうです。

梅サミットもひらかれました。  

  • 7月には、北海道サミットが予定されていますが、みなべ町では、2000年に「全国梅産地サミット2000」が開かれました。
    画像の説明 地元和歌山からは、田辺市南部町、南部川村(この2町村が合併してみなべ町となる。)が参加しました
    当時は日本一の梅の村・南部川村としてPRしていました
    田辺市も栽培面積では、同村に匹敵するだけの面積を誇っています
    この3市町村で、日本の半分以上の生産額を誇っています

この山田村長(現みなべ町長)は、自らCMに出るなど、トップセールスで、現在の繁栄を支えています。  

  • その一つに、梅振興館があり、いろいろな梅干をはじめとする商品も販売しています。
    画像の説明 みなべの梅をPRする情報発信基地

梅は「古事記」「日本書紀」「万葉集」の時代から日本人に親しまれていた。  

  • もっとも、観賞用としての「花ウメ」であったらしい。
  • 古い記録としては、「530年ごろ、中国の呉の僧が渡来した時に、奈良の都への土産の一つとして、梅があったという」
  • この時代、「花」=「梅」と考えられていたらしい。
    • 立春を迎え、最初にさく花が、梅だったからであろうか、「ハナ」は「端」に通じ、「物事の始め」をイメージさせたのであろう。
    • その後、「花」=「桜」とそのイメージの座を奪われるようになるが、「松竹梅」と称されるように、日本人には親しみのある作物である。

梅は古くて新しい作物。「古城」から「南高」へ  

江戸時代、田辺市周辺の山間部では、梅栽培が奨励された。田辺藩主安藤直次が租税を免じて奨励したという  

  • 江戸時代の後半・1800年代にみなべ町で、販売梅干の製造が始まったといわれている。


  • サンセットファームのある上秋津のとなり、長野地区は「平家物語」の那須与一ゆかりの地である。今でも那須姓を名乗る人も少なくない。
  • 画像の説明
  • また、この地は「古城」(ごじろ)誕生の地でもある。江戸時代からの伝統が、この品種を誕生させたのであろう。
  • 「古城」という名の意味が、屋号からきているらしい。
  • この那須さんの近くを近世の熊野古道が通っている。近くには衣笠山があり、ここにも山城があった。このお城と関係あるのだろうか?
  • 大正時代からの原木・樹齢約90年ということか。峯岡惣一じいさんの時代の話
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    画像の説明 峯岡農園の古城の古木、こちらは樹齢約60年以上

昭和30年代、最初の梅ブームが起こる。  

  • 昭和37年、「酒造法」の改正で、自家用の果実酒が自由化された事を契機に、梅ブームが起き、「青いダイヤ」と呼ばれ、全国的に栽培面積は一気に拡大した。
  • 昭和40年代には、梅酒用としては、生産過剰となり、価格は一気に暴落した。
  • 戦後、田辺市の隣、南部川村(現みなべ町)で地元の上南部農協の谷本勘蔵さんらが中心となり、優良品種の選別に取り組んでいた。
  • 同村晩稲(おしね)の高田貞楠さんが栽培していた「改良内田」の中に良くなる木があり、この系統が選ばれた。地元で「なんこう」と呼ばれていた「南部高校」の竹中勝太郎教諭らが長年調査したことにより、「南高」(なんこう)梅と命名された。下村農園六代目の淳作じいさんは、南部高校の前身、紀南農学校で、この竹中先生の教えを受けたという。
  • また、同校の資料によると、栽培していた高田さんに敬意を表して「高」の字をつけたということも書かれていた。
  • この「南高」は結実性に優れ、梅干用の漬け梅に適していることから、アルカリ食品、健康食品ブームにのって一気にトップブランドとなった。赤いダイヤの誕生である。
  • 南部農協のデータによると、昭和52年には、「古城」のほうが「南高」よりも価格が高かったのに、翌53年には「南高」のほうが逆転して高くなったという価格の変動が見られたという。
  • このあたりから、南高の栽培面積が増えていったのだろう。
  • また、昭和40年代の暴落、その後、オレンジ自由化という流れの中、ミカンからの転作等、好条件が重なり、第二の梅ブームが和歌山で開花したのである。
  • もう1点、この地は比較的暖かく雨も年間1500〜2000ミリという気象条件、また、地質的に梅に適した土壌であったことも、幸いしたのであろう。

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番外・ユスラ梅はそのままだべられるカワイイ梅  

  • 画像の説明実をつけたユスラウメ
  • 5月18日、ユスラウメが色づき、小梅に続いて収獲?
  • サンセットファームにて 色づいてきたユスラウメ
  • 色鮮やかなユスラウメの果実酒 古城と一緒に、ユスラウメもつけてみました

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